No.1 VERITASに学生講師が多い理由
No.2 数学を学ぶ意味とは
No.3 受験生の頃の心の叫び
No.4 ○○大学への数学
No.5 模試認定って何?
No.6 「ゆかし」の心
次回予告 >> 東大入試の高校教育に対する責任

 


学生講師のメリット  親近感
社会人講師のメリット 教育技術の高さ

とされ,一般に,学生講師は駄目だ,と考えられていますが、必ずしもそうでしょうか.むしろ,数学科では、学生講師の方に良い人材が多いというのが現状です.

 というのも,数学において最も重要なのは「理解の深さ」であるからです.「理解の深さ」を測る指標としては,「問題が解ける」というものがあると思いますが,しかし、この「問題が解ける」ということには大きな落とし穴があります.というのもふだんお目にかかっている問題は、すでに、どこかの大学入試で、あるいは何かの問題集で出されたもの。つまり、誰かが作った解答が存在するものです。このような既存の問題でその解答を見たことがあるものならば、極端な話ですが、問題を見てその解法を思い出すことさえできれば「問題が解ける」ことになります。これは,決して真に「問題が解ける」とは言えませんし,要はただの記憶です.大半のプロ講師と呼ばれる人々が授業において行っていることは、実はこの作業なのです。

 高校生が身につけなくてはならない数学の力というものは,この記憶の作業ではありません.そもそも入試を通るだけでも,出題される問題は非常に多岐にわたるもので、記憶力で勝負するためには膨大すぎます.プロ講師は日常の仕事の中で、自然とそのようなことを行えるのかもしれませんが、高校生にとってみればそのような詰め込みには際限がない上、非常にナンセンスです.さらに、入試問題の中には完全に新出というものも、意外と多く存在します。特に数学の難しい大学ならばなおさらです。結局、その場で自力で解法を考えなければならないものなのです。例えば、東大の数学では、合格者であっても3割も解けなかったという人が大半(おそらく95%以上)を占めます。一般的に、記憶力や処理能力といったものに秀でているはずの東大合格者のこの現状は、入試問題が未知のものであることに加えて、記憶で対応するには無理な量であり、そもそも数学的な深さをはらんだものであることを明確に物語っています。

 では、数学の講師とは何を教えなければならないのでしょうか。ある程度、定石とされる解法をあてはめてみても歯が立たないならば、自分の中にある数学的知識や類推をもとに、様々な角度からのアプローチを試み、何らかの命題を発想し、それを論理により検証するという地道な作業を行うしかありません。一つめのやり方では上手くいかないならば、また視点を変え、発想と検証を繰りかえす。このような苦しい試行錯誤を、入試ならば、さらに短時間のうちに行わねばならないのです。この時に必要な力とは発想力と論理力そして頭を働かせ続ける体力であり、これこそが数学における本質的な能力だと言えます。

 このように入試問題を時間内に100%解くことができる人ですら少数です。ましてや講師となれば、解くだけではなく、数学的な内容・背景を理解し、自分がどのようなプロセスを経てその解答に至ったかを伝えられることが条件となってきます。このような厳しい条件をクリアできる「能力の高い」人はどこにいるかというと、社会人より学生のほうが多いというのが現状なのです。

 この塾・学校という業界は、消去法で教師になる(他になれるものがないから仕方なく先生になる)という時代がずっと長く続いてきました。その結果、教育自体はめちゃくちゃになり、本来教えるべき「自分の頭の働かせ方」や「その教科の存在意義・魅力」を教えず、「とりあえずやり方だけを覚えて」とか「無理な詰め込みのみ」に青春時代を費やさせ、またそのような勉強をした人間がまた教師になるという不幸の再生産の仕組みを繰り返してきました。当然、教師の地位は低くなり、できる人が教師になろうとすると、教師になんかなったらもったいない、「医者」になれば、「弁護士」になれば、「官僚」になれば、と言われてしまいます。

 実際、当塾の講師たちもその半数が上記3つの職種、残りは研究者になるというのが現状です。しかし、本来、高等教育の教師というものは十分なその教科の能力と人間性を兼ね備えた人でなくてはならないはずですし、上記の3つのような職業と並列に考えられて然るべきはずです。次の世代を育てる人間なのですから。しかし、この社会の現状(能力の高い人が教師以外の職業についてしまう)ゆえに、学生講師とならざるをえないのです。

 能力の高さと教育技術の高さ、その両方を提供しようとした結果、将来的には大学で教鞭をとるであろう東大のトップ層数%にいる学生・院生の中で、社会性豊かな人を採用し、ほぼ一年間の研修を経て教育技術を身につけてもらって、ようやく実際に教壇に立ってもらっているのが現状です。東大のトップ層数%で、かつ社会性豊かという条件は本当に厳しいもので、その上、一年程度の研修で十分な伸びが見込まれる教育のセンスをもっている人となると、ごくわずかな人材に限られ、実際の採用率は1%程度となってしまっています。

 ただ、学生講師ですので、どうしても卒業・就職という転機がくれば辞めていくということになります。確かに、長い時間をかけて素晴らしい講師が誕生したのに、卒業・就職で辞められてしまうのは、塾としても非常に悩ましいことなのですが、ここで養った教育能力を、これから社会の中で役立ててもらえればと考えています。学生たちに、次の世代を担う人たちに、少しでも教職という職業のすばらしさ・重要さ・魅力に気付いてもらい、社会的価値を高め、素晴らしい人材がこの職業についてもらえたら幸いです。逆に高校生たちにとっては、授業の内外で刺激を与えてくれるよい講師との出会いの場となってくれればと願っています。■(きたや&やえせん)

注:人事部より
VERITASでは、講師採用試験において、 学生及び社会人の区別はいっさいしておりません。